太陽報コラム(1) 12/9

香港の太陽報で、週1でコラムを執筆開始。
内容はこれまでのインタビューなどで既知のエピソードが多いが、彼自身の書いた文章ということで、これからどんな話が読めるのか楽しみ。


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《太阳报》 2007-12-09

   文を書くのは得意な方ではありません。でも、ファンの皆さんと心を通わせ、僕の思いを表現するには、これが一番いい方法だと思います。飾り立てた言葉は使わずに、心のまま正直に書いていきます。

コラムを書くのはこれが初めてというわけではありませんが、今回は決まったテーマに沿っての執筆です。
与えられたテーマは、僕のこれまでの半生。香港では僕は一人の新人俳優に過ぎません。ですから、この場を借りて自己紹介をしていこうと思っています。

   朝早くに生まれた子供だったので、両親は僕を「暁明」と名づけました。子供の頃の夢は、科学者になること。青島のごく平凡な家庭で育ちました。
初孫だった僕は、親たちから年下の兄弟たちのお手本になるようにと言われてきました。両親はとても厳しかったです。
「よく勉強しなさい、汚い言葉は使わない、悪い子達とは一緒に遊んではいけません」と口をすっぱくして言われていました。

僕は内気で、口数も少ない子供でした。おとなしいその頃の僕が一番好きだったのは武侠小説と「科幻世界(SF小説雑誌)」を読むことでした。男だったら子供の頃、一度は経験したことがあるんじゃないでしょうか。昼夜を忘れて、ほんの世界にどっぷり浸った一時期を。

こんなことがありました。僕は夢中になって本を読みながら、母が作ってくれたおやつを食べていたんですが、母はそんな僕を見て悪戯心を起こし、布巾を僕に手渡したんです。物語にすっかりのめりこんでいた僕は、その布巾を口に持っていってがぶりと食いついてしまいました。もう20年もたちますが、母は未だにそのことを持ち出してきます。

   マニアといってもいいくらい武術小説にすっかりはまってしまっていた僕ですが、高校受験の時には、母の期待に応えるために半年ほど武侠小説から遠ざかりました。試験が終わった当日は、やっと肩の荷を降ろしてせいせいした気持ちで本をたくさん抱え込み、かじりつくようにして読みふけりました。
本を読みながら、自分がもしこの物語の主人公だったら一体どうするだろう、とあれこれ想像したものですが、そのときは何年か後に本当に願いが叶う日が来るなんて、考えたこともありませんでした。大好きだった「杨过」と「韦小宝」を演じることができるなんて、僕は本当にラッキーです。

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高校は青島一中に通いました。文系のクラスだったので、40数人の女子生徒の中に男子は5人だけ。当時はあまりはきはきしたタイプではなく、ほとんど話もしなかったので、クラスメイトに「しょんぼり黄」なんてあだ名までつけられてしまいました。

歌を歌うことが好きだったこともあり、テレビ局の歌のコンテストに参加しました。当時流行していた「水手」という曲を歌ったのですが、思いがけず何週か連続でチャンピオンになってしまいました。ささやかですが達成感を味わいました。

何の苦労もなく育ってきた子供が思うように、僕も将来は自分の両親のようになるんだと想像していました。オフィスでデスクワーク、朝9時から夕方5時まで仕事をするといった普通の生活をするんだろうと。
その頃は自分が芸能界に入るなんて思ってもいませんでした。何しろ恥ずかしがりな性分だったせいで子供の頃映画の主人公に選ばれそこねたほど。それなのにまた深く考えもせず、北京電影学院に入ってしまいました。

僕が受けたのは電影学院がはじめて青島で行った入学試験でした。先生が推薦してくれたので、勇気を出して挑戦することにしました。それなのに、試験の前に交通事故に遭い、試験会場には松葉杖をついていく羽目になったんです…

   運のいいことに僕は合格しました。担任の崔先生によると、合格したのは他でもない、僕が白紙のようにまっさらだからだそうです。
試験の後、足の怪我が治ったことを証明するために、一ヵ月後に北京に行き電影学院で再試験を受けました。 こんなふうにして、僕はおぼつかない足取りで演技のメッカともいうべき電影学院に入学することになりました。
それからの僕は、それまでとは全く違う世界に足を踏み入れていくことになったのです!

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