太陽報コラム(2) 12/16

電影学院に入学してからの毎日は、以前の暮らしとは全く違う世界でした。自分がここにいるのは何かの間違いでは、と思ったほどです。 高校時代の周囲の女子はみんながみんな大きなメガネを掛けていたのとは打って変わって、大学ではどちらを見ても美男美女ばかり。とても新鮮でした。

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自分の持つ資質を発揮するための授業ではいろんな動物のマネをしたりしましたが、人前に出るのが苦手な僕はさっぱりうまくやれません。初めての演技発表のときは緊張しすぎて口の端がぶるぶるひきつってしまったこともありました。

   大学3年までは、校則を守ってドラマや映画の撮影には一切参加しませんでした。その代わり、名の知られた商品の広告撮影はたくさんやりました。チューインガムやカジュアルウェア、自動車などいろんな広告に出たので、みんなからは「広告王子」と言われていました。
確か最初の撮影は陈坤と一緒で、スキムミルクの広告でした。1500元のギャラをもらったときは大金持ちにでもなったような気分でした。自分はもう大人なんだと、ギャラ全部を使って両親にプレゼントをしました。
一番楽しかったのは清涼飲料のコマーシャルです。十数人のクラスメイトとの共演でした。今後もし映画やドラマでかつてのクラスメイトと共演することがあれば、どんなに盛り上がるだろうと思います。

96年の演劇科はその名に恥じない「スタークラス」となりました。趙薇は2年のときに《还珠格格》で東南アジアにまでその名をとどろかせ、陳坤も《像雾像雨又像风》に出演し、頭角を表しました。颜丹晨は《花季雨季》により、最年少で华表奖の最優秀女優賞を獲得しました。何琳、郭晓冬らも優れた作品に出演し、多くの人たちから注目されています。
入学して間もない頃、先生は僕たちにこう釘を刺しました。
「スターになれるのは、1クラスから多くても1人か2人。一般的に女の子の方が男の子より人気が出るのが早い」
自分の性格が芸能界に向いていないのはよくわかっていたので、卒業したら青島に戻り、ローカルテレビのキャスターになろうと思っていました。同時に、この友人たちとクラスメイトであることを、とても誇らしく思っていました。過去を振り返って一番懐かしいのは、やはり大学時代の寮生活です。18年生きてきて、生まれて初めて両親の元を離れ、慣れない生活を始めたところで、こんないい友人たちに出会えたんですから。

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ところが、ある日突然思い立ったんです。どうにかして、演技という分野で何らかの成果を収めたいと。目的を達成するため、それ以後は広告のオファーを一切断りました。僕のポリシーはこうです。
「やると決めたら最高を目指す、それができないなら最初からやらない」

大学3年のとき、初めてドラマに出演しました。恋愛ドラマ《年华似水情似火》での主演です。《两宫皇太后》で有名な王学新監督が指揮を執りました。テレビ放映されたときは天にも昇る心地でした。
一生懸命やったとはいえ、今思えば苦労して演じているのがありありとわかる演技だったんでしょう。20歳の若さで、30歳のビジネスで成功した人間を演じるのは、人生経験がまだまだ足りなさすぎました。僕の完敗です。ドラマは中央電視台の1チャンネルで放映はされたものの、ゴールデンタイムから深夜の枠に時間を変更されました。放映後も反響はほとんどありませんでした。
こういった挫折を経験したことは、成長の過程でそれほど悪いことではなかったと思います。成功への道のりが平坦ではなかったからこそ、今の自分の礎がしっかりと築けているのだと思います。

学院に入ってすぐに、园先生がこのようにおっしゃいました。
「演技を体得するには、インスピレーションが必要だ」
ですが僕には先生の言う「インスピレーション」がどんなものか、よくわかりませんでした。わからないまま大学4年間は過ぎ去り、僕がようやく演技のインスピレーションを得たのは、人生二度目の交通事故に遭ったときのことでした。   

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